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彼が彼女を殺すまで
First Story

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第二章 少女はただ涙を流す(1)

 数十人という人数が席につけるであろう細長いテーブルで、工藤日姫はたった一人で夕食を摂っていた。
 それは特別なことでも何でもなく、日姫にとって一人で食事をすることは日常茶飯事に過ぎない。
 普通の家庭の子供なら、毎日こんな環境で生活すれば寂しくて泣き喚いてしまうかもしれない。日姫もまだ十一歳という年齢の子供であり、また格別特殊な環境で育ってきたというわけでもない。
 あるとすれば、物心ついたときから家に閉じ込められていたことくらいのものだ。
 だがそれは虐待されているわけではなく、むしろその反対で、親が日姫を大事に思うが故のことだった。
 日姫の父親は第五十九区の区長。つまり順当に行けば、日姫は第五十九区の区長の跡継ぎとなる。その跡継ぎを大切に扱いたいという親バカとも思える考えによって、日姫は四、五歳の頃からずっとこの家に居続けていた。
 そのことに大きな不満を持ったことはない。ただ区長である父親も、その父親を支える母親も、多忙なあまり日姫と顔を合わせることは極端に少ない。よって幼い頃から食事は一人で摂らざるを得なかったのだ。
 両親と遊んだ記憶など殆どない。それよりも、何十人といる使用人たちとの方がよっぽど遊んだ記憶がある。
 しかしそれが常識となっている日姫にとっては、さほど辛いことではなかった。部屋で本を読み続けているだけで、孤独である寂しさなど紛らわせられるからだ。
 大人びているようでもあり、捻くれているようでもあると言えるだろう。子供ならば孤独を嘆いている方がまだ可愛げがある。
 けれどもそれが工藤日姫という少女であり、それ以上でもそれ以下でもないただの子供なのだ。
 使用人が作った豪華な料理も、この大きなテーブルの隅にぽつんと乗っかっているだけでは貧相なものにしか見えない。平凡な家庭の子供がこれを見たら、日姫のことを羨ましいと思うのだろうか。
 日姫は湯気の立つ料理を口に運んでいく。部屋には使用人が一人だけいるが、日姫が話しかけない限り口を開くことはない。ただ静寂だけが部屋の中を支配していく中、日姫は今日一日疑問に思っていたことを考える。
 いつも両親は一日の大半を仕事に費やしてどこかに出かけているが、それでも毎日日姫に顔を合わせにきている。それはたった数分の短い時間であり、子供と会いたいというよりは跡継ぎの顔を見たいだけだろうとも思えるもの。
 だがどんな理由であれ、毎日顔は出すのだ。
 それが昨日から途絶えていた。
「なぁ」
 日姫の呼びかけに即座に反応して、使用人である若い女性が振り返る。
「何でしょうか。日姫様」
「父上と母上はまだ戻ってきていないのか?」
 使用人はその質問を受け、戸惑った表情になる。
「ご存じではなかったのですか?」
 申し訳なさそうにしている使用人を見て、日姫は視線だけで先を促した。
「旦那様と奥様はお仕事で長期間家を空けるとお聞きしましたが……」
 その話に疑問を抱かなければ嘘だ。
 何故なら両親がしばらく留守にするときは、必ず日姫に直接言いに来ている。よほど時間がないときであろうとも、すぐに日姫に伝わるようにするはずだ。
 なのに今回はそれがない。既に日姫に連絡もないまま、二日も経っている。
 ならば遠くへ出かけていることなどあり得ない。
 しかし使用人が嘘を吐くはずもない。
「……その話、誰から聞いたんだ?」
 先ほどの言い方では、両親から直接聞いたのではなく又聞きしたように聞こえる。
 日姫には一つだけ心当たりがあった。
 これが嘘だと言うのなら、そんな嘘を吐くであろう人間の心当たりが。
 内心そうでないことを祈る日姫であったが、現実というものはそう甘くなかった。
「貴崎さんです。日姫様に伝える時間さえなかったのでしょうか……」
 告げられた名前は日姫のよく知る人物の名だ。
 そして最も聞きたくない名前でもあった。
「……そうか、分かった。もう下がっていいぞ」
 日姫は使用人を下がらせて、再び食事へと戻る。
 しかし心だけは戻っていない。
 貴崎恭志郎。
 工藤家の使用人の一人であり、日姫の父親が何よりも信を置いている人物だ。
 なんでも機関設立時から使用人としているらしく、日姫にとっても両親より近しい人だと言えるかもしれないくらいだ。
 けれども日姫は貴崎を好いてはいなかった。
 貴崎は日姫の教育係だった。時には優しく時には厳しい。それは教育係として優秀な使用人だったと言えるだろう。
 だから確証なんてものはない。
 だが日姫は感じ取っていたのだ。あの男の奥に潜む、内に秘めたる狂気を。
 あの笑顔は表面上だけのものじゃないのか、そんな猜疑心が生まれてくる相手なのだ。
 両親は家を空けて留守にしている。その話をしたのは貴崎だ。日姫にとってその話は嘘だとしか思えない。両親が日姫よりも貴崎を優先したことに疑問を感じてしまう。
 大体、本当なのならばどうして貴崎は日姫に伝えなかったのか。
 もしこれが嘘だとすれば、貴崎が何かを企んでいるのは間違いない。かといって何を企むのかと言われれば、何も思い浮かぶものはない。
 いっそ自分の思い過ごしであればいいのだが、という考えが浮かんでしまう。しかしそんな甘いことを言って良い相手でないことは誰より深く分かっているつもりだ。
 そんな思いを巡らしていると、大して味わう暇もないまま食事を終えてしまった。食器は使用人が片付けるので、そのままにして日姫は席を立つ。
 こんな場所で貴崎のことを考えていても仕方がない。そう思って踵を返したとき、日姫の視界に一人の男が目に入った。
「お食事はお済みになりましたか? 日姫様」
「……貴崎」
 白髪混じりの初老の男は、黒いスーツを見事に着こなし、薄い笑いを浮かべて近寄ってくる。
 噂をすれば何とやら。まるでこちらの胸中を見透かしているかのようだ。
「さっき初めて知ったんだがな。父上と母上がしばらく戻ってこないって?」
 日姫の質問に貴崎は驚いた表情を浮かべると、白々しく言い捨てる。
「えぇ。旦那様からはお聞きになりませんでしたか?」
「……いいや。初耳だな」
 貴崎は日姫が既に知っているとでも思っていたのか。
 だが両親が日姫に伝え忘れることなどあり得ない。この様子は演技だとしか思えないのだ。
「お二人がいなくて寂しいですが、しばらくの辛抱ですよ」
 貴崎は日姫に対して笑いかける。
 それは何も知らない人が聞けば、日姫を心配する良き使用人の台詞に聞こえただろう。
 だが、この男の場合だけは決定的に違う。
「寂しい? お前は嬉しそうに見えるけどな」
 そのとき確かに、表情が歪んだ。
 それをすぐに隠すように貴崎は苦笑して首を振った。まるで子供の冗談を適当にあしらうかのように。
 貴崎がどのような目論見を持っていようと、それを直接聞き出すことは不可能だ。
 これ以上この男と話していても埒が明かない。
「私は寝るぞ。今日は疲れたんでな」
 日姫が貴崎の横を通って部屋に戻ろうとしたとき、日姫の肩に手が置かれた。
「心配せずとも」
 貴崎は低く屈んで耳打ちするように告げる。
「もう少し待てば会えますよ。……親子水入らず」
 それだけ言うと、貴崎は部屋を出て行った。
 取り残された日姫の頬にはいつの間にか冷や汗が垂れている。
 刹那の間に思考が駆け巡り、日姫は貴崎の思惑に気がついてしまった。そして、たった一つの事実にも。
 すなわち、両親は貴崎に殺されているということに。



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