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彼が彼女を殺すまで
First Story

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第二章 少女はただ涙を流す(2)

 音のない静寂な闇を破るように照明が点いた。
 日姫は電気を消してベッドに潜っていたのだが、一向に眠れなかったのだ。考えるのは貴崎のことばかりで、とても落ち着いて眠れる状態ではない。
 深夜なので家の中は物音一つしないくらい静かだった。時計を見ればいかに自分が何時間も寝付けなかったのかが分かる。こんな時間に目が冴えてるのは初めてだ。
 貴崎の考えが理解できた今、眠れるわけがなかった。
 貴崎は両親を殺している。そして、次の狙いは日姫だ。
 日姫たちに笑顔を向ける一方で常々感じていた憎悪。それは日姫と両親に向けられていたものだったが、今まではどうして憎まれているかも分からなかったので、本当に貴崎が日姫たちに敵意を持っているのか確信がなかった。
 だが、今なら分かる。
 丁度両親が失踪した日でもある、一昨日の夜。その日、日姫は父親に些細な用があって父の書斎に入った。
 父親はいなかったので本来ならそこで自室へと戻っていた。けれども読書家の日姫としては、普段滅多に入らせてもくれない書斎にある本が気になってしまった。少しくらい読んでも怒られないだろうと棚に並ぶ本を眺めていたが、そこで机上にある書類が目に入ったのだ。
 一目見ただけでも仕事関連の書類だというのは分かった。父親は区長なので、一般人には機密となるものまで扱っている。それを自分が勝手に読むのは失礼な話だ。
 なので書類から目を離そうとしたのだが、やはり好奇心というものはある。それに父親は仕事の話などしたことがないので、どういうことをしているのか娘として知ってみたいという思いもあった。
 そして日姫は書類を手にとってしまった。
 機関が成してきた悪行の数々を記した書類を。
 それは三十年ほど前からのデータが載っており、誰々を殺し何々を得たなどという記述が羅列されていた。
 人間の醜悪な部分の縮図とでも言うような内容に、日姫は言葉も出なくなった。
 自分の親が幹部の一人であり、今の世の中を統治している機関がこんなことをしている。ただの子供に過ぎない日姫には、それはあまりにも過激すぎる話だった。
 廊下から足音が聞こえてこなければ、日姫は時間も忘れて眺めていたことだろう。
 慌てて書類を机に戻して書斎から出ると、父親が戻ってきていた。
 急に出てきた日姫に驚いていたが、日姫は適当な言い訳を並べてその場を離れていった。
 書類の内容に心が奪われていて、父への用などとっくに忘れていたのだ。
 そして、それ以降両親の姿は見かけていない。
 あれを見た後に両親がいなくなったのは偶然かと思っていたが、そうではない。
 機関にとって日姫が書類を読んでしまったのは最大の失態だ。もしあの内容を世間にばらまけば、世の中の機関への信頼は大きく揺らいでしまう。
 悪事を知られた悪人は必ず口封じを行う。それも、これほどのことをしでかしている者たちであれば、その口封じのレベルも自ずと知れてくる。
 機関が日姫を消そうとするのは自然の流れ。
 だが現在日姫は二日経っても生きていて、むしろ両親の方が失踪するという奇妙な状況になっている。
 この現象を起こしているのは他でもない、貴崎恭志郎だ。
 日姫が書類を読んだこと。父親が貴崎を信頼していること。そして貴崎の日姫たちに対する敵意。この三つが合わさることで全てを解明することができる。
 貴崎は日姫たちを憎んでいた。その理由は今まで分からなかったが、今なら確信を持って答えられる。
 貴崎が憎んでいるのは、日姫たちではなく機関なのだ。
 父親はやはり日姫が書類を読んだことを知っていた。少なくとも読まれた可能性があると考えただろう。そのとき父はすぐに日姫を殺そうと考えるだろうか。
 仮にも日姫は自分の娘だ。独断で殺そうとは簡単には決められないはず。だが日姫のことを野放しにするわけにいかないとは思う。ならどうするか。
 自分が最も信頼できる人に、相談を持ち掛けてみないだろうか。
 父親にとってその相手は貴崎だったのだ。
 貴崎はそこで機関の悪事が記された書類の存在を知ってしまった。もうあの書類は処分されているかもしれないが、他にもそういうデータがどこかにあってもおかしくはない。最悪残っていなくとも、『工藤日姫』という最高の情報源がある。
 もし貴崎が機関を恨んでいるのならば、その書類を悪用しようと考えないわけがない。
 いや、絶対に貴崎は機関を恨んでいる。
 そうでなくては、これまでの日姫の不信感は説明できない。明らかに日姫と両親のみに向けられた悪意。あれはその先にある機関を見据えていたのだ。
 それなら、そんなことを知ってしまった貴崎はどうする。
 既に用済みとなった日姫の両親を殺害してしまわないか。
 日姫はあの書類を読んでいることによって、いわばその情報が盾となっている。もし書類が処分されていれば、その情報を持っているのは日姫だけになるからだ。情報が欲しい貴崎にとって、日姫は殺すわけにはいかないのだ。
 だから、両親は失踪し、自分だけがここにいる。
 全ては貴崎の掌の上。
 そして今気づいたところで、日姫には何もできることがない。
 貴崎の狂気という名の剣は鞘から抜かれてしまった。たとえ日姫が貴崎から逃げようとも、既に罪を犯した貴崎は退くことを知らない。あらゆる手段を用いてでも日姫を捜し出し書類の内容を吐かせようとするだろう。その道程に幾人もの死体が転がろうとも。
 両親を殺害した貴崎は止まれないのだ。
 逆に日姫が素直に貴崎に情報を渡すとする。その場合、仮に日姫の命は助けてくれたとしても、貴崎はその情報を用いて機関を崩壊させてしまう。この世の中を統治している機関が崩壊すればこの国はまた荒れる。法律も治安もない混沌とした世の中になり、何万、何十万以上という数の人間が不幸になる。
 貴崎から逃げても逃げなくても、死体は生まれ続けていくのだ。
 全ては、日姫が書類を見つけて読んでしまったから。
 自分の愚かさに辟易とする。
 両親を殺して自らの命も危機に晒しているのは日姫の仕業のようなものだ。
 日姫が生きている限り次々と周囲の人間は不幸になっていく。
 そこで、ふと気がついた。
 自分がいる限り周りに迷惑がかかるのなら、自分がいなかったらどうなるのか。
 その場合、貴崎は日姫から情報を抜き出せない。両親が書類を処分しているのならば、貴崎は機関を潰す切り札を入手することができなくなってしまう。そしてそのまま月日が経てば、両親を殺した貴崎が機関の目から逃れるのは難しくなっていく。
 皮肉なものだ。
 自分が死ねば、これ以上の犠牲は自分一人で済むというのだ。
 しかも日姫の場合はただの自業自得に過ぎない。
 むしろここで貴崎から逃げるのは、自らの命ほしさに周囲を見殺しにするだけなのだ。
 誰かのために簡単に命を投げ出せるほど善人ではないし、死が怖くないわけではない。
 それでも、間接的に両親を殺し、またそれ以上の人間が死んでいくと言うのならば。
 日姫は死ぬべきなのかもしれない。
 そう思うと、自分でも驚くくらい体が震えていることに気がついた。
 体は正直だ。突然死んだ方が良いのだと思っても、それを許容したくないと反抗している。この震えは死への恐怖なのか、罪悪感からなのか、貴崎への恐れなのか。
 どうすればいい。
 こんな馬鹿げた推測、全て間違っていればいい。両親は仕事で不在なだけだし、貴崎は優秀な使用人。日姫は単に人を疑いやすい生意気な年頃だというだけ。
 そうやって現実から目をそらせれば、どれだけ楽に生きられるか。
 けれどもそんな楽観的でいられるほど、日姫は貴崎を信用していないし、両親の親バカぶりは理解している。また、父が日姫を殺そうと覚悟したとしても、それで日姫を何日も放置しておくとは考えられない。
 とは言え自分が死ぬことが本当に最良の選択なのか、それもまた日姫には分からない。
 いっそのこと、誰か何も訊かずに自分を殺してくれ、と思う。
 日姫を殺すことで何か得がある人間がいるのなら喜んで死のう。日姫の選択が間違っていないと後押ししてくれることになる。
 だが、そんな都合の良い話が転がっているわけがない。
 眠気などとうに飛んでいる体を起こして、日姫は机上にある巾着袋を手に持つ。
 死ぬとしたら、どうやって死のう。
 そんな悲痛なことを考えて、日姫は力なく笑った。
 何をどう間違えてこんなことを考えなくてはいけなくなったのか。もう日姫には分からなくなっていた。
 そのまま数分の間感傷に浸っていると、急に大きな音が鳴って我に返った。
 窓硝子に大きなヒビが入ったのだ。
 日姫は巾着袋を素早くポケットに入れて窓の方に体の向きを変える。
 何かがぶつかったのかと思ったが、こんな深夜に一体何がぶつかる。
 鼓動が速くなるのを感じ、思考がまとまらない内にもう一度耳障りな音が響いた。
 今度は完全に窓硝子が砕け散り破片がそこら中に吹き飛ぶ。幸い日姫との距離は離れていたので破片が日姫に刺さることはなかった。
 しかし驚くのも束の間、屋根の方から体を捻るようにして勢いよく一人の男が窓から入ってきた。
 白一色の貧相な服装。長めの髪、というよりはただ荒っぽく伸ばしただけのような黒髪を垂らし、背丈も高い大人びた男だった。だが顔は少し幼げな印象もあって、成人はしていない年頃だと思われる。
 その手にはナイフがあった。
「だ、誰だ!」
 日姫は動揺しながらもなるべく冷静に努め、突如侵入してきた男を睨みつけた。
 男は日姫の声に反応してこちらに顔を向けてくる。まじまじとこちらを見てきたかと思うと、馬鹿にするように鼻で笑ってきた。
「お前を殺しに来た」
 その言葉に、日姫の体はビクッと震えてしまった。
 しかしそれは恐怖による震えではなかった。
「本当か?」
 間髪入れずに日姫が聞き返す。
「本当に殺してくれるのか?」
「……はぁ?」
 男は間の抜けた声を出し、唖然とした表情で日姫を見つめていた。日姫本人ですら自分の発言に戸惑っているのだから当然の反応だ。
 それでも、この男は日姫を殺しに来たと言っていた。まるで絵本に出てくるような、お姫様を救出しにきた騎士のようにいきなり現れて。
 日姫は死んだ方がいいのだと、この男はそう告げているのだ。
 すぐに男が何かを言おうとしてきたが、日姫はそれすらも待ちきれずに叫んだ。
 もう、覚悟は決まっていた。

「頼む! 私を殺してくれ!」



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