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彼が彼女を殺すまで
First Story

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第二章 少女はただ涙を流す(5)

 鏡也は部屋の電気を点けると、不機嫌そうに椅子に座り込む。
 灰村が鏡也のために用意した家だ。
 正確に言えば鏡也の監視役である理恵もここに住んでいるため、二人の家とも言える。
 その同居人は青ざめた顔で家に入ってくるとすぐに床に倒れ込んだ。
 また鏡也の運転に酔ったのだろう。
「全く、帰ってきたかと思えばいきなり何も説明せずにバイクで全力疾走なんて……。せめて速度の調節くらいできるようになってもらえませんか?」
「文句があんなら乗るなっつーの」
「文句じゃなくて正論だと思うんですけどぉ……」
「第一あの場でトロトロ運転してたら追いかけられてたぞ。お前の顔が奴らに憶えられなかっただけでも感謝しとけ」
「はぁ……そうですか」
 諦めたようにため息を吐いて理恵が起き上がる。
「んで、どうして連れてきたのかそろそろ説明してくれるんですよねぇ?」
 理恵が目線を向けた先にいるのは、この場にはとても似つかわしくない小柄な少女。
 鏡也の暗殺のターゲットでもある工藤日姫だ。
 鏡也はこの少女と共に窓から飛び降りて、この家まで逃げ帰っていた。どうして工藤日姫までいるのか理恵が詮索していたがそれを今まで無視していたのだ。
 だが説明していない、というよりは説明ができなかった。
 自分も日姫を殺そうとしていたはずなのに、気づけば連れて逃げてきていたから。
 鏡也は日姫を殺せなかった。
 いや、決してそんなことはない。
 自分はこの少女を殺さなかっただけだ。殺すことなんていつでもできる。ただ不可解な点があるから保留にしているだけなのだ。
 そうやって正当化しないと、自分の行動が理解できなかった。
「……俺が説明するより先に、こっちが説明してもらいたいもんだがな」
「はい?」
 日姫は落ち着かない様子できょろきょろと部屋を眺めていたが、鏡也たちに話を振られたことに気づくとまっすぐこちらに顔を向けてきた。
「私も、どうして連れてこられたのか分からないんだが」
「そんなことはどうだっていい。それよりお前の『殺してくれ』ってやつだ。さっきははぐらかされたが、きっちり説明してもらうぜ」
「……殺してくれって、どういうことですか?」
 状況を掴めていない理恵が口を挟んできたが、正直言って鏡也も事態を把握できていない。
 日姫の自殺願望の理由は何なのか。それが分からないととても殺す気にはなれなかった。
「……分かった。説明する」
 日姫は仕方ないと言った感じに、事の顛末を話し出した。日姫の読んだ書類、両親が殺害されているだろうこと、そして貴崎という男のこと。
 書類の内容だけはうまくぼかされてしまったが、機関にとって何か不利益なものであることは察せられた。
「ふぅん、なるほどな。それで自分が死ねばいいって思ったのか」
 鏡也からすれば馬鹿げた話だとは思う。何故他人のために自分が死んでやらなくちゃならない。いっそのこと貴崎という男を殺せばいいだけだろうに。
 しかし、これが本当なのならば鏡也は一つだけ納得がいかないことがある。
「妙な話だとは思わないか? 第五十九区の区長は灰村だと聞いたんだがな。こいつの話だと父親が区長らしいぜ?」
 質問した相手は日姫ではなく理恵。
 灰村は自分で第五十九区の区長だと名乗っていた。だが日姫の話では、日姫の父親が第五十九区の区長らしい。一区につき区長は一人だけのはずだから、このままだと矛盾が発生する。
「わ、私も知りませんでしたよ。それに灰村さんが区長になったのは鏡也さんに依頼を持ち掛けた日、つまり昨日からなんです。前区長が亡くなっていたなんて話は聞いていませんけど」
 やはりそうなのだろう。
 日姫曰く、前区長は三日ほど前から死んでいるらしいのだ。だとすると、灰村が区長になったというのは極最近でなければ辻褄が合わない。
 それに灰村も、区長になったのはつい最近だからと言っていた。
「それがおかしいんだよなぁ。このガキの推測を信じるなら前区長の死は未だ隠されているんだぜ? なのにどうして灰村はいきなり区長になっているんだ?」
「あ……」
 灰村たちが前区長の死を知っているなら分かる。新しい区長が必要になるので灰村が抜擢されただけということだ。
 だがそこが鏡也の最も気に入らない点だった。
「新しい区長を作ったってことは機関は前区長が死んだことを知っているってわけだ。その上このタイミングで機関にとっての危険人物である工藤日姫を暗殺しろだぁ? どう考えたって、機関はこの真相を知っているとしか思えねぇよなぁ! 機関の藤堂理恵さんよぉ!」
 最大の点はそのことを鏡也に隠していたことだ。
 鏡也は機関の尻ぬぐいを手伝うためにまんまと利用されていたことになる。
 それを許容できるほど鏡也は意志薄弱な男じゃない。
「私だって初耳ですよ! この子が犯罪者でないことも前区長の娘さんだってことも! 灰村さんは……どうか分かりませんけど」
「本当かよ。機関の奴らはいまいち信用できねぇからな」
 その言葉を聞いて、理恵の表情が険しくなった。
「それならこの子だって! 全部嘘かもしれないじゃないですか! 私たちを騙そうとして!」
「確かに可能性としてはゼロじゃねぇが、騙そうとして殺されてちゃ意味ねぇよなぁ! 客観的に聞けば怪しいのはお前らの方なんだよ!」
 うっ、と理恵がたじろぐ。日姫が言っていることは嘘だとは思えない。むしろ日姫が重大な犯罪者だという話の方がよっぽど信じられないことだ。
 機関は日姫を恐れて消そうとしている。
「お前たちは機関の人間なのか?」
 それまで口を噤んでいた日姫が訊いてきた。自分を放って仲間割れを始めたのだから、日姫も今の事態をよくのみ込めていないのだろう。
「こっちはな。俺はそこに雇われているようなもんだ」
「……ということは、機関はもう知っているということか」
 日姫の言葉に理恵が何か言い返したそうだったが、結局口を開くことはなかった。
 理恵が知らないというのは本当かもしれない。日姫がそんな書類を読んだというのなら、機関にとってはかなりの一大事だ。下っ端にすぎない理恵に真実を教えない可能性はある。
 ならば鏡也と面識のある人間で、知らないはずがない人物に訊けばいい。
 鏡也は椅子から立ち上がるとベランダの窓を開けた。
「……何を?」
「電話だよ。このガキの言うことを確かめるには灰村に訊くのが一番だろ?」
 お好きに、と返事が返ってきて、鏡也はベランダへと出る。
 外は夜風が心地よく吹いていた。外灯がいくつも光っていて何だか神秘さを感じさせる。
 こんな中、殺すだの死にたいだのと言っている自分たちが妙におかしく感じられた。
 鏡也は窓を閉めて携帯を取り出し、登録されている灰村の番号を押す。
 呼び出し音がしばらく鳴った後、灰村が電話に出た。
『殺したの?』
 その第一声に思わず笑ってしまった。
「早速それかよ。機関のお偉いさん方はそんなに焦ってんのか?」
 鏡也の挑発に灰村は動じない。少し焦りすぎたと自覚したのだろう。
 分かりやすい反応だ。
「とりあえず、機関が自分たちにとって不都合な人間を消しているってことは分かったぜ。新区長さん」
『……どこで知ったの。工藤日姫は殺したの? 答えなさい』
 あからさまに動揺している灰村の声を聞いて、鏡也はくっくと笑う。
 これでは日姫の話が正しいと認めたようなものだ。
「カマ掛けたつもりが見事にはまってくれるとはな。どうやらあのガキの話は嘘じゃねぇってことか」
『……っ!』
 息を呑む音。
 灰村も今の状況が少しは分かった頃だろう。自分が試されていたということに。
「安心しろよ。あのガキはまだ殺していねぇが家に連れてきている。殺そうと思えばいつでも殺せるさ」
『……それで? 用件は工藤日姫の真相を知りたいって言うことかしら』
 物分かりが良い。鏡也が日姫を人質にしているようなものであることに気がついている。
 この場合の人質とは、いざとなれば殺さない選択を取れるという、通常とは全く逆の意味のものであるが。
「そういうこと。俺もお前たちの悪事の隠蔽のためにこき使われるのは癪なんでな。言い訳があるなら聞いておきたいところなんだが」
『やはりあなたは余計なことをするわね』
 灰村は深くため息を吐いてから、日姫の話を説明し始めた。
 日姫の予想はおおよそ当たっていた。機関の幹部は三日に一度連絡を入れるシステムがあるらしく、それがなかった場合は亡くなったものと扱うらしい。それにより灰村たちは区長の死を知り、新しく灰村を区長にしたようだ。
 また、その場合は前区長の家に仕掛けられている監視カメラと盗聴器が作動するようにできていて、そのお陰で灰村たちは貴崎の目論見や日姫のことを知り得たらしい。
 鏡也に貴崎の暗殺を依頼しなかったのは、貴崎なら機関でも殺せるからとのことだ。だが日姫は豪邸に住む人間で世間的にも有名なので、機関が殺して足がつくのを避けたかったようだ。もし鏡也なら疑われたとしても機関が捕まえたことにすればいいだけだからだ。
 何より鏡也を騙すなら、日姫一人を殺させる方がやりやすかったということだろう。たとえ貴崎を殺しても、日姫が生きている限り脅威であることに変わりはない。どのみち日姫は殺されなければいけない運命にあるというわけだ。
『機関が保身のために工藤日姫を殺そうとしていると言われても否定はできないわ。でも考えてみて。今この国が一定の平和を維持できているのは紛れもなく機関のお陰なのよ。その機関が世間に不信感を持たれて、結果崩壊したとしたらどうなると思う? 再び世は無法地帯となってしまい混沌の時代の再来よ』
 鏡也は機関設立前の時代を知らないが話には聞いている。法律のない世界は混沌としており、自分以外誰も信用できなくなるような、そんな地獄のような生活が毎日続くらしい。確かにたった二十五年でこれほど治安が良くなってるのは、お世辞でなく機関の功績と言えるだろう。
『好都合なことに、工藤日姫本人も死にたがっているようじゃない。彼女の気持ちを優先してあげたら?』
 そんなことを平気で言ってくるから侮れない女だ。
 これでは日姫が読んだという書類の内容も大方予想がつく。まさに今、機関の暗部に接触しているわけなのだから。
「……ま、上に立つ奴が悪事を積み重ねて這い上がったってのはよくある話だ。それは別に構いやしねぇが、今ここであのガキを殺すってのは躊躇われるな」
『どういうこと?』
「こうなった以上、俺が貴崎って奴を殺したって構わないわけだろう? お前らからしたって貴崎も早めに殺しておきたいはずだ。だが貴崎が大事なお姫様を連れ去られて、今ものうのうと工藤の家にいると思うか?」
『……なるほど』
 日姫が何者かに連れ去られたとすれば、貴崎はそれが機関の仕業だと気づくだろう。それは貴崎の企みが看破されていることを示してもいる。
 そんな可能性が浮かび上がれば、貴崎はすぐにでも雲隠れするに違いない。そして今までは慎重に日姫から情報を奪おうとしていたのだろうが、これからは一刻も早く情報を吐かせようとなりふり構わなくなるはずだ。
『つまり、工藤日姫をエサにして貴崎をおびき出すというわけ?』
「そうだ。あのガキも逃げる気はねぇみたいだし、あいつを殺すのは貴崎を殺した後の方がいいだろう?」
『……確かにそうね。ただし貴崎に出し抜かれないように、工藤日姫の周囲には常に気を配っていなさい。貴崎は見かけ次第殺して構わないわ』
「それはいいが、貴崎の顔写真は持ってるか? 俺は見たことねぇぞ」
『後で携帯に画像を送っておくわ。それと、貴崎を殺すまでは工藤日姫の要求はなるべく受け入れるようにしなさい』
「あぁ?」
 灰村が口にするにはおかしい言葉を聞いて、鏡也は思わず聞き返してしまう。
『彼女に不自由な思いをさせないように、ということよ。その条件が呑めないのなら今すぐに殺しなさい』
 別に反対する理由はない。
 ただ何故急にそんなことを言い出しているのか不思議なだけだ。再三にわたり貴崎や日姫を殺せ殺せと言っていた奴が、何を今更人情らしきものを振る舞っているつもりなのか。
「どういう風の吹き回しだ?」
『勘違いしないで頂戴。これは工藤日姫のためでなく私たちのためよ。あまり彼女を縛りつけて逃げ出されても困るということよ』
 灰村が考えているのは日姫が逃走しないかということ。
 詰まるところ日姫個人のことなど気にも掛けていないということだ。
「偽善者が」
『振る舞うべき善は分かっているつもりだわ。たとえ一部の人に偽善と罵られてもね』
 そう言って、灰村は通話を切った。
 鏡也は舌打ちを鳴らして携帯を閉じる。
 貴崎が殺されるというのは分かる。自分の野心のために殺人を犯す人間だ。同じく闇の世界に身を堕としてる鏡也や機関に殺されたって、文句を言える立場ではないだろう。
 だが日姫の方はどうだ。
 鏡也が居間に戻ると、理恵がどうだったとでも言うような目でこちらを見てきていた。
「灰村さんは何て言ってました?」
「お前には残念だろうが、このガキの言うことが正しいんだとよ。お前の上司は全部知っていたらしいぜ」
「……そんな」
 理恵は灰村から聞いていなかったのだろう。信頼していた灰村に裏切られたような気持ちでいるはずだ。
 もっとも、この女も灰村と同種の人間である可能性はあるが。
「まぁ、詳しい話は後で灰村としな。それより今はこっちが重要だ」
 視線を向けると、日姫はじっとこっちを見ていた。
「お前の推測は全て当たっているようだ。しかしすぐにお前を殺すわけにもいかなくなった。お前なら分かっているんだろうが貴崎って奴も相当な危険人物なんだ。お前をエサに貴崎をおびき寄せるから、あいつを殺すまでお前は殺せない。分かったか」
 自分がすぐには死ねないと聞き少し苦い顔をしていたが、意外と話の分かる子供だ。
「分かった。お前がそう言うのなら私はそれに従う」
 日姫も貴崎が逃げられたままでは安心できるはずがない。日姫の死にたがりの原因は周りの人を傷つけたくないという思いからだ。だが貴崎が生きていれば日姫が死んでも危険なのは同じだ。それでは日姫が死ぬ意味もなくなってしまう。
 それが分かっているからこそ、日姫も了承せざるを得なかったのだ。
「話はついたな。お前にはしばらく俺たちと共にいてもらう。時期がくるまでな」
「あぁ……分かった」
「ん?」
 やけに元気のない日姫の様子に、鏡也は疑問を浮かべる。
「変だな……」
 日姫は服の裾を両手で握ると、独白するように声を漏らした。
「私は父上のことも母上のこともあんまり好きじゃなかったんだ。嫌いではなかったが、物心つく頃からずっと家に閉じ込められていて、一緒に遊んでくれた記憶だって数えるほどしかなかった。さっきまでは自分で言っていたのにも関わらず、殺されたと言われても実感が湧かなかったんだ」
 もしかしたら日姫は鏡也に否定されたかったのかもしれない。お前の話は間違っている、と。それは両親が死んでいるということも否定されることになるのだから。
 けれども鏡也は肯定してしまった。日姫の推測は全て正しいのだと。
「だから、分からないんだ。別に……好きでもなかった親が死んだだけなのに。なのに、どうしてこんなに悲しいのかなって……」
 日姫の服に水滴が落ちた。
 どんなに冷静さを装っていても、他人のために命を投げ出せる人間であろうとも、結局のところ日姫はまだ幼い子供なのだ。
 両親の死に、平然としていられるわけがなかった。
 そしてそのことは鏡也にとってあまりにも衝撃的だった。
 自分が殺さなくてはいけない相手は、こんなどこにでもいるような少女だったということなのだから。



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