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彼が彼女を殺すまで
First Story

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第五章 そして彼は堕ちる(6)

 再び第五十九区へと戻ってきた頃には、既に辺りは真っ暗だった。
 一日で三回も列車に乗ったのだからこれほど時間がかかるのも無理はない。
 家に入るとフライパンで料理を炒めている音が聞こえ、食欲を刺激する匂いが立ちこめていた。
 同時に料理をしている理恵の方から鼻歌が聞こえてきて、鏡也は顔をしかめる。
「不謹慎だな」
「あっ、鏡也さん。帰ってきたんですか。てっきり夜通し捜すものかと思ってましたよ」
 鏡也が居間に座るのを見て、理恵は少し驚いた表情で見てきていた。
「捜しに行けば見つかるもんでもねぇ。果報は寝て待てとも言うしな」
 魔女の受け売りだが今は不思議とそう思えるようになっていた。
 彩の話が魔女の占いを信じさせるきっかけになったのかもしれない。
 理恵が鏡也の分の皿も用意し出すと、再び鼻歌が聞こえてきた。
 気にせずにいようとしたのだが、止まらない理恵の鼻歌に腹が立った。
「黙れ」
「……どうしたんですか?」
 鼻歌が止み、理恵がこちらを振り返る。
「随分楽しそうじゃねぇか。あいつが攫われたってのに」
 睨みつけると、理恵は予想外の返答をしてきた。
「楽しいですよ」
「なに?」
 沸騰するような怒りが込み上げてきて、鏡也は立ち上がって理恵の胸ぐらを掴む。
「あいつが攫われた今の状況が楽しいってのか!」
 フライパンで焼かれる肉が跳ねた。
 油と共に焼かれる音が部屋に響き渡る中で、理恵が臆せずに口を開く。
「私は日姫ちゃんは連れ去られても無事だと思うんです」
「はぁ?」
「貴崎が狙ってるのは日姫ちゃんではなく正確に言えば頭の中の情報ですから。それが得られれば日姫ちゃんを狙う必要もないはずですので、心配することは――」
「てめぇ、馬鹿か! そう物事が良い方向にばかり傾くと思ってんじゃねぇよ! 用済みになったあいつが無事で済む保証がどこにある!」
 その可能性から目を瞑っていたのか、「うっ」と理恵が口ごもる。
「大体……貴崎にその情報を奪われたくねぇから機関は俺にガキを殺すよう命じたんだろうが。今更殺されないと思うから貴崎の下にいるのはいいだぁ? ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」
「ふざけてなんていません」
 フライパンから煙がもくもくと立ち上がっていく。
 理恵の目はこれまでにないほど真剣なものだった。
「私は機関の命令なんかより日姫ちゃんの方が大切なんです。たとえ灰村さんが殺せって言ったって私は日姫ちゃんに死んでほしくなんかないんですよ。だから……」
「だから? だからあのガキが自分の命を捨てた方がマシだと判断したのに、お前はそれを踏みにじってまで貴崎に情報を渡すってのか? それが本当にあいつのためになるとでも思ってんのか?」
 理恵は鏡也に似ている。
 自殺願望の日姫を殺したくなく、彼女の想いを捨ててまで生かそうとしているのだ。
 その末路は鏡也には分かっている。
「てめぇの勝手な気持ちで一番傷つくのはあいつ自身だぞ! お前はそれでいいってのかよ!」
「じゃあ鏡也さんは日姫ちゃんを殺したいんですか!」
 胸ぐらを掴んでいた手が離れた。
 ずっと避け続けてきた問いを真正面からぶつけられた。
「日姫ちゃんの想いを優先して日姫ちゃんを殺すんですか? ……それが本当に日姫ちゃんのためになると思ってるんですか?」
 鏡也は日姫を殺せなかった。
 それは日姫の姿が彩と重なったからであった。
 本当にそれだけなのか?
「日姫ちゃんだって本当は死にたくないんですよ。楓さんと仲良くなって、私や鏡也さんみたいな対等な知り合いが初めてできて。あんなにいつも楽しそうにしていた日姫ちゃんを殺したいんですか!」
「……っ!」
 いつだって日姫は色々なものに感動していた。
 第五十九区の掃き溜めみたいな風景に感動していた。目眩がするほどの人ごみの多さに感動していた。畑しかない田舎の風景に感動していた。
 そして彼女は他人のこともよく見ていたのだ。

 ――優しいな、鏡也は。

「殺したいわけねぇだろうが!」
 おそらく、鏡也がこれほど自分の感情をぶちまけたことはない。
 ポーカーフェイスと言えば聞こえはいい。
 鏡也は『紫苑』を捨てたその日から、自分の感情も殺していた。
 盗賊団に復讐をして自らの醜悪さに気づいた鏡也は、自分のことをただの殺人狂だとしか思っていない。
 だから灰村や理恵にどれほど極悪人だと思われようが、何とも思わないしそもそも否定する気さえ起きない。
 だが、そんな鏡也にだって一欠片の善意くらいはあると信じている。
 悪人を殺すことを厭わないほど心が腐りきったと自負しているが、それでもまだマシな部類だとは思いたいのだ。
 まだ誰かを助けたいと思えるような心は持っているつもりだった。
 そんなこと、鏡也を見て誰も思わないだろうが、自分は底辺までは堕ちていないと思いたかったのだ。
 それを見抜いてくれたのが日姫だった。
 歩き煙草をしている奴を蹴り倒したときも。
 楓と気まずくなって二階に逃げた日姫に話しかけたときも。
 彼女の作った不味すぎる料理を完食したときも。
 日姫だけは鏡也のことを分かっていた。
 そして、そんな彼女を鏡也が殺せるわけがない。たった一人の理解者を殺したいなんて思えるわけがない。
 彩と似ているから殺せなかったというのもあるだろう。
 だが本当に殺したくなかった理由は、工藤日姫だからこそ殺したくなかったということなのだ。
「悪人でもないあいつを、自分の命より他人の命を優先するあの馬鹿を殺したいと思えるほど俺もクズじゃねぇよ! あいつを殺さなくていい道があるならそっちを選ぶに決まってんだろうが!」
「だったら! このまま貴崎に情報を渡してやった方が――」
「だがな、俺に殺せって命じたのがお前ら機関の人間なんだよ!」
「っ! それは……」
 理恵が言っていることはそもそもおかしい。
 理恵たちの方が鏡也に殺せと言ってきたのに、今度は正直にそれに従う鏡也を責めているのだ。
 機関の命令に反して動いているのかどうか知らないが、この女に鏡也を責めることができる資格などないのだ。
「……お前らにだけは何も言われたくねぇんだよ。人の命を数字に置き換えるお前らにはな」
 日姫を殺せば多くの人間が助かる。
 機関はそれが正義だと思っているようだが鏡也からすれば失笑ものだ。
 誰かのために誰かを殺すという考えができる人間が正義だと名乗って良いはずがないのだから。
「――私だって、好きで機関に入ったわけじゃ……」
 理恵が何か呟いたとき、家のチャイムが鳴った。
 二人の間で沈黙が流れたが、やがて鏡也が舌打ちして玄関へ向かう。
 もう大分遅い時間帯なのだがこんな夜更けにやってくる奴も何の用だろうか。この付近にご近所付き合いと言ったものは存在しないだろうから、押し売りか何かか。
 ドアを開けると、向こうにいた人物は鏡也の顔を見てにっこりと微笑んだ。
「おひさ〜、元気にしてたぁ? 鏡也さん」
「椎名詠史……!」
「うわっ、なんかすっげぇ煙だけど何してんすかぁ、新手のプレイ?」
 椎名は鏡也の制止も聞かずに家の中へ入っていき、立ちこめる煙にごほごほと咳き込んだ。
 理恵が急に入ってきた椎名に気づき、顔を青ざめながらも鋭く睨んでいた。
「椎名っ……」
「おー、こわっ。何か雰囲気壊されたことでも怒ってるんすか? まぁ子作りの途中とかだったらどうしようと思ってたんで、そういうわけでもないことには安心したんすけど」
 椎名は火を止めてから、窓を開けて換気すると「焦がしちゃって勿体ねーなー」とか言いつつも勝手に肉を食べていた。
「おい! お前何しに来やがった!」
「んー、そう怒鳴んなよぉ。僕ちゃん聴力いいからあんまり大きい声で喘がれると逆に萎えちゃったりするんだぜぇ?」
「ふざけんのもいい加減にしろ。お前ほどの奴が企みもなく現れるわけもねぇだろ。大体どうやって俺たちの居場所を知りやがったんだ」
「一遍に説明できるほど俺は器用じゃないっす。その前にほら、土産があるんすよ」
 椎名がポケットを探って出てきた袋を鏡也の足下に投げた。
 それはビニール袋に入れられたもので、一目見ただけで中身が分かるものだ。
 煙いから気がつかなかったのか、よくよく考えれば何か生臭い異臭はしていた。
 椎名の持ってきた土産は、子供くらいの小さな手首だった。
「……っ」
 鏡也でも息を呑んだくらいなのだから、理恵が声もなく後退ったのは当然。
 この状況でこんなものを持ってきて、どういうつもりなのかは丸わかりだ。
「てめぇ、あのガキをどうしたんだ!」
「怒んなって。あんたが質問してきたから分かりやすく答えてやったってのにさ」
 悪びれもなく肉を平らげて、椎名はにやにやと唇をつり上げる。
「まぁ、僕の言いたいことは分かってくれたと思うんだけど。でもちょーっと勘違いしてるよなぁ。これは俺がやったわけじゃねぇし、あんたたちに喧嘩売りにきたわけでもねーんすよ」
「……こんなもの持ってきた奴を信用できるとでも思ってんのか」
「だぁから取り返してきてあげたってのが正しい表現なんだって。そこを責められるのは結構心外だしサゾ気味の僕ちゃんの嗜好には合わないっていうか」
 椎名はテーブルの上に腰掛けると、足を組んでこう言ってくる。
「今日は交渉をしに来たんだよ」
「……どういうことだ」
「前に言ったよねぇ? 俺情報屋って仕事してるから金さえ払えば依頼受けるよんって。工藤日姫の在処知ってんだけど教えて欲しくねぇの?」
 魔女の言っていた死神とはやはりこいつのことだったらしい。
 日姫のときの占いといい、話の分岐点には必ずこいつが現れる。
「鏡也さん……こいつの言うことは」
 信用できるような存在ではないし、こいつが貴崎と手を組んで共謀していたのはほぼ間違いない。
 だがここでこいつの手に乗らなければ、鏡也たちは一向に日姫の下に辿り着けない。
「いいだろう。話せ」
 驚く理恵をよそに、鏡也は壁に背中を預けて椎名を睨む。
「お前の企みに乗ってやるよ」
 椎名の顔に不気味な笑みが広がった。



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