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彼が彼女を殺すまで
First Story

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第六章 運命はしかと訪れる(5)

 列車が着くと二人はすぐに屋敷の方へと向かった。
 乗り場からは随分と遠いのでタクシーを呼んで近くに駐めてもらい、そこからは徒歩で屋敷へと辿り着いた。
 日姫の家にも劣らないほどの大きな屋敷だが、外見はかなり古びている。おそらくあまり使われていなかったのだろう。
「どうやって侵入します? 日姫ちゃんがいる部屋は遠いですから、どこから行ってもばれそうなものですけど」
「……正面からだ」
 驚く理恵をよそに、鏡也は正面の扉の鍵を椎名から貰った銃で破壊して、無理矢理蹴破った。
 途端に警報が鳴り響き、眼前に人がいるのを見て身構えたが、彼らの様子に気づいて警戒を解く。
「……これは」
 武装した人間が数人いたが、どれも無惨な姿になって死んでいた。腕や足が所々に散らばり、首無し死体まである。
 理恵が蒼白になって視線を逸らしていた。こんな殺し方をする人物には一人しか心当たりがない。
「これ、この人たちを殺したのって」
「あぁ、とんだサービスだな」
 この様子では屋敷内の警護にあたる人間を皆殺しにしているのだろうか。だとすれば最短経路で日姫の下へと行けそうだ。
「俺たちが入ったことは既に貴崎にばれている。急ぐぞ」
 椎名が言っていた日姫の監禁部屋に向かって走り出す。これだけ警報が鳴り響いているのにも関わらず誰も出てこないということは、やはり椎名が貴崎以外の人間を皆殺しにしたに違いない。
 貴崎がこの事態に気づいていないわけがないが、それでも鏡也たちの下に来ないのはおそらく逃亡を図っているからだろう。至る所に設置されている監視カメラで姿くらいは確認されているだろうが、むしろ鏡也の姿を見れば逃げ出したくなるのは当然だ。別に貴崎は暴力が強いわけではないのだから。
 だとすれば日姫も同時に連れ出そうとするはず。椎名の話では日姫から得た情報が正当なものかどうか確認するまでは貴崎は日姫を殺さないらしい。つまり今ここで日姫を失っては貴崎にとって致命的なのだ。万一のことを考えれば絶対に日姫を置いていくことはできないだろう。
「理恵! お前はこのまま監禁部屋に向かえ! 俺は貴崎が連れ出してる可能性を考慮して裏口のルートを辿る!」
 そう言ってから、鏡也は理恵とは別方向へと走り出す。
 椎名はお得意の情報力で貴崎の屋敷の構造を完全に把握していた。いざというときの抜け道として用意している裏口があるらしいのだ。貴崎が逃げるとすれば間違いなくそこからだ。
 仮に日姫を連れていなくても貴崎を殺して損はない。他の人間は椎名によって皆殺しにされているだろうから、後はゆっくりと日姫を捜し出せばいいだけだからだ。
 そして、どうやら鏡也の想像は当たっていたらしい。
 遠くで駆けだすような足音が聞こえ、鏡也は銃を取り出してそっちに向かう。
 丁度裏口への階段がある部屋に向かう貴崎を見つけ、強引に引き摺られている日姫と目が合った。
 日姫は驚きを隠せない表情で鏡也を見たが、鏡也はそれを無視して貴崎の足元に銃弾を撃つ。
 引き摺られてる日姫に当てるわけにはいかないので威嚇目的だったが、自分の近くに銃を撃ち込まれた貴崎はその足を止めた。
 鏡也の方を振り向いて見せた顔は、灰村から貰った顔写真の男に間違いない。
 誰かが止めたのか時間が経過したからか、警報が鳴り止んだ。
「追い駆けっこはお終いだ。貴崎恭志郎」
「……佐倉鏡也っ!」
 貴崎はぎりぎり、と歯を強く噛んで鏡也の方を睨んでくる。
 その手に掴まれている日姫は、全身をロープで縛られていた。顔には打撲の跡がいくつかあるが、ふと気になって腕の方を見てみると、その両手は健在だった。
 どうやらあの男は鏡也に話をふっかけるために別人の手首を持ってきたらしい。
 やられた、と思ったが今はそれどころではない。
「そのガキを離せ」
 びくり、と貴崎の体が震える。
「用があるのはてめぇの命だけだ。そのガキを殺すつもりはないから安心しろ」
「信用できるか。貴様が機関から受けた命令は私とこいつを殺すことだろう」
 恐怖が混じる瞳を見つめて、鏡也は不敵に微笑む。
「詳しいじゃねぇか。俺が機関の依頼を受けて来たと知ってるか」
「椎名詠史という男に会っただろう。あいつは名の知れた情報屋でな。お前のことも知っていたぞ」
 なるほどな、と鏡也は余裕を込めて返す。
 鏡也のことを知っているというのは、機関の命で動いているということだけではなく、鏡也の過去のことも含めているのかもしれない。椎名が知っていたのだから、依頼人であった貴崎が教えてもらっている可能性もある。
「だがそれならどうしてそのガキは今も生きていると思う? 俺が機関に馬鹿正直に従うような奴だと思ったか? それならあのとき、こいつを連れ出さずにお前ごと殺していたさ」
「……っ」
 貴崎は半信半疑の表情で見つめてくるが、鏡也はふぅとため息を吐いて貴崎を睨み返した。
「俺が離せって言ってんだから素直に従えよ。他人の命の心配をしてる暇がお前にあんのか? 身の程をわきまえろよクズが」
 貴崎が体を強張らせ、掴んでいた日姫を離す。
 日姫は自らの体を引き摺るようにして鏡也の下に来ると、顔を上げて見つめてきた。
「……私のことを殺しにきたんじゃないのか?」
「自惚れんな。誰がてめぇなんか殺すか」
 そのとき鏡也の背後から理恵がやってきて、すぐに日姫の方に駆け寄る。
「理恵まで……」
「いいから、じっとしていてください。今ロープを外しますから」
 理恵が日姫のロープを外そうと悪戦苦闘していると、それを見ていた貴崎が口を開いた。
「お前は本当にそいつを殺すつもりじゃないのか」
「そうだ。心配せずともこいつの命は俺が護ってやる。機関がこいつを狙うならそいつらをぶっ殺してでも護る」
「何故……」
 不可解極まりないという表情の貴崎だったが、それは横で鏡也を見上げる日姫も同じようだった。
「私のことを殺してくれる約束だったはずだ。私が生きていれば今回のように多くの人間が犠牲になる。だから――」
「知るか。何で俺がお前の言うことを聞かなくちゃいけねぇんだ。誰かが犠牲になるのはお前の責任じゃねぇ。原因はお前かもしれねぇがそいつはお前が気にすることじゃねぇだろ」
「だが……」
「俺がこれ以上犠牲を出さずに終わらせてやる。てめぇは黙って眺めてろ、ガキ」
 鏡也がじり、と貴崎に向かって歩み寄ると、貴崎は青ざめた表情で後退していく。
「このガキは殺さねぇがてめぇは別だ。覚悟はできてんだろうな」
 鏡也は銃をしまう。こんな男との戦いに銃を使ってやるまでもない。
「待て、どうして私を狙う」
「あぁ? 何湧いたこと言ってやがる」
 貴崎は背後にある扉を開けて逃げだそうと画策しているようだが、鏡也の隙を見つけられなくて難航しているようだ。苦し紛れの時間稼ぎでも企み始めたのかもしれない。
「人に殺されるような悪人じゃねぇとでも思ってんなら、そのふざけた脳みそをシェイクしてやってもいいが」
「そうじゃない。どうして貴様が私を殺そうとする。機関のために動いているわけではないんだろう? なら私を狙う必要もないはずだ」
「抜かせ。機関のためじゃなくてもてめぇを殺す理由などいくらでもあんだろうが。自分が何しようとしてっか分かってんのか」
「機関の崩壊だ。それが何か悪いことか?」
 鏡也の目が釣り上がる。貴崎の表情は真剣なものだった。
「機関が正義でないことくらい、お前も承知しているはずだろう。あいつらは機関を立ち上げる資金を作るためだけに何人もの無関係な人間を殺し、その財産を奪ってきた奴らだぞ。そして私はそいつらがこの国を支配するのを止めようとしているのだ。何故お前がそれを邪魔する必要がある」
「……」
「私の両親も奴らに殺された。これは国のためでもあり私の復讐でもあるのだ。お前にも分かるだろうその気持ちは。悪人どもに故郷を奪われたお前なら」
 やはり貴崎は鏡也の過去を知っていたらしい。鏡也の反応を窺いつつも貴崎はまくしたてるように言葉を吐き出してくる。
「悪が世を統治する時代は間違っているのだ! だからお前の故郷を襲うようなクズが生まれる。誰かが自らの手を汚してでも悪を潰さなければ変わらないんだよ。私やお前みたいな奴が必要なんだ!」
 貴崎は自分の手を仰々しく差し出してきた。
「お前はこちら側の人間だよ。私と手を組もう。正義の使者を気取った悪を根絶やし、この国に真の平和をもたらすために!」
 鏡也はしばらくその手を眺めていたが、やがて漏れ出るように笑い声をあげる。
「……何がおかしい」
「いいや、一年前の俺なら、お前の手を握っていたかもしれない、と思ってな」
 貴崎に歩み寄っていくと、貴崎は冷や汗を垂らしながら鏡也を睨む。
「今のお前も変わっていない! お前なら機関を潰すヒーローになれるはずだ! 何のために二十二人もの人間を殺したか忘れたのか!」
「さぁて、何のためだったかな。ちょっと人を殺してみたくなっただけかもしんねぇ」
「嘘を吐くな! お前は悪が蔓延るこの世界を恨んでいるはずだ! 私と共に――」
「黙れ」
 貴崎の言葉が途切れる。その目は希望と絶望が入り乱れたものを映し出していた。
 その目を見据えて、鏡也は吐き捨てるように言う。
「死ね」
 貴崎の体が鏡也から逃げようと動き出すのが見えたが、瞬時に間合いを詰めた鏡也に顎を蹴り飛ばされると、呆気なく床に倒れ込んだ。
 すぐさま起き上がる貴崎であったが、間髪入れずに頬を蹴られて、再び床に顔を付ける。汚い赤色の液体が床に飛び散っていた。
「何故分からない……このまま機関に支配させていいとでも思って――」
 未練がましく言葉を吐き出す貴崎だが、鏡也は構わずに蹴り飛ばす。返り血が服に付くが鏡也は全く気に掛けない。
「さ、佐倉……っ! 佐倉鏡也ぁ! 貴様自分が何をしているか分かっているのか! お前は機関のような悪を見逃すというのか! 悪と戦うことを放棄するのか!」
「悪と戦うだと? 寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ」
 顔面を思い切り蹴り飛ばして、貴崎が無様に床を這いつくばる。荒い呼吸音と共に起き上がった貴崎の目は、恐怖の権化である鏡也の顔を射抜いていた。
「確かに機関は悪と言ってもいいかもしんねぇな。お前があいつらを恨む気持ちもよく分かる。俺だって、自分の家族があいつらに殺されたとしたら、奴らを潰そうとしていたかもしれない」
「それが分かる貴様が! 何故私の邪魔をする! お前だって私と同じことをしていただろうが!」
 貴崎の言い分はもっともだろう。鏡也は復讐心から故郷を焼いた二十二人の盗賊団を皆殺しにした。助けてくれと懇願されたこともあるのに、それらを無視して命を絶ちきってきた。
 その上機関が正義でないのも間違いない。何も知らない部外者からすれば機関は国を束ねる良き組織かもしれないが、実態は私欲で人を殺し、その悪事を暴こうとする人間さえも口封じに殺そうとする奴らだ。どいつもこいつも悪人だらけで笑えてくる。
 もしこれらの状況を全て理解した人がいたら、果たして誰の味方になるのだろうか。機関を潰す貴崎が正しいのかもしれない。少なくとも、復讐が許されないのだとしたら、同時にそれは鏡也も悪だということになる。
「お前は悪人じゃない! 世間から見ればお前はただの殺人狂かもしれないが、実際は真の悪を根絶やす主人公だ! そして私はお前と同じなんだよ! 私とお前は手を組むべきなんだ!」
「――くだらねぇな」
 だが鏡也に迷いはない。そもそも鏡也は自分のことを善人だと思ってないし、悪と戦うなんて崇高な気持ちも持ち合わせてはいない。たとえ貴崎がこのまま機関を潰して、一般人に多大な被害を及ぼそうと、そんな顔も知らない奴らのために泣けるほど鏡也は優しくないのだ。
 しかし、それでも鏡也が貴崎を許せない理由はたった一つ。
「お前の復讐にケチつけるつもりはねぇよ。お前が自分の親を殺した奴を殺してほしいって頼むんなら、俺も協力してやらんわけでもない。どのみちそんなクズは死んで然るべきだ」
 フーッ、フーッ、という貴崎の醜い息遣いが響き渡る。
「……だがな。お前のくだらない復讐のせいで、自殺を選ばざるを得なかったガキがいる」
 貴崎に近づいていっても、もはや貴崎の体はがくがくに震えて逃げることも叶わなかった。
 その男を見下して、鏡也ははっきりと告げる。
「お前の復讐ってのがあのガキを傷つけてでも果たさなくちゃならねぇことなら、たとえ誰に責められようが俺はお前を殺す!」
 鏡也と貴崎は似ている。
 お互い大切な人を殺され、その復讐のためなら自らの手を汚しても厭わない覚悟がある。
 それでも二人は決定的に違っていた。
 鏡也は仇である二十二人の盗賊団以外には、誰一人として傷つけはしなかったのだから。
 鏡也の足が地面を蹴る。
 その膝が貴崎の鼻をへし折り、腹部を蹴ってドアに叩きつける。
「か……はっ」
 赤黒い血がぽたぽたと床に滴り落ち、貴崎が手を震わせながら銃を取り出した。
「ハッ、何のつもりだ?」
「あ、相容れないなら……致し方、ない。私は私の……信念に従うまでだ」
 照準のおぼつかない手で鏡也に銃を向ける。鏡也は薄く笑ってそれを眺めているだけだ。
「撃たせる隙を与えるとでも思ってんのかよ。お前、俺を見くびりすぎじゃねぇのか?」
「いいことを、教えてやる」
 ごほごほ、と血を吐き出しながら、貴崎は言葉を絞り出してくる。
「どうやって、私は、工藤日姫を連れ出せたと思う」
「……あぁ?」
 世迷言か、と思ったものの、鏡也は貴崎が続ける言葉に聞き入っていた。
「椎名詠史と協力してお前を足止めしたことくらいは分かっているだろう。だが……それだけで簡単に攫えるわけがないのも、分かってるはずだ」
「……」
 それは確かに不思議に思っていたことだった。鏡也は椎名によってまんまと日姫から遠ざけられていたが、だからといって日姫が無防備になったわけではない。
 何故なら、もう一人日姫の側にいた人物がいるはずなのだから。
 不意に、背中がひりひりとするのを感じた。
「あれだけ大勢の人がいるゲームセンターで、私が女性二人に乱暴をしたらどうなるか……お前にも、そのくらいは分かるはず」
「……何が言いたい」
 明らかに空気が変わっていた。今まで漂っていた鏡也の絶対的優勢が、ここにきて揺らぎ始めている。
 背後からは、誰の声もしない。
「もう一人、協力者がいたのさ。……だから、足止めするのは、お前だけで充分だった」
 これは貴崎の苦し紛れの策。そうであってほしいと願う自分がいた。
 けれども、そうであるならどうしてあの二人は何も言ってこない。
 貴崎は冷静を取り戻してきたのか、はたまた痛みに慣れてきたのか、銃を支えるその腕の震えが治まっていた。
 そうして、貴崎は決定的なそれを口にしてしまう。
「あそこにいる藤堂理恵はスパイなんだよ! 私と椎名詠史、そして藤堂の三人が工藤日姫をお前の手から奪ったのさ! お前は味方だと思っていたあの女に誘われて、みすみす工藤日姫を私たちの前にさらけ出したのだ!」
 あの日を、思い出す。
 鏡也と日姫を強引にゲームセンターへと連れていった理恵を。
 椎名から遠ざけるために、理恵と日姫を二人きりにさせたことを。
 これは鏡也の心を揺さぶる罠だ。
 しかし、それなら即座に二人から反論がくるはずだ。この会話をすぐ後ろで聞いているはずの二人から。
 屋敷には沈黙が漂った。
 そしてそれが全てを物語っていた。
「お前は私を殺してあの三人と過ごすのか? くく、表ではいい子ぶってお前たちの味方の振りをして、その実裏ではいけしゃあしゃあと私にあの子供を差し出すあいつとか? 果たしてそんな平穏が得られるのかなぁ貴様らに!」
 そこで鏡也が取った行動は最悪の一手だったと言わざるを得ないだろう。
 つい真実を確かめようとして、背後にいる二人の方を振り向こうとしてしまった。
 その隙を見逃す相手でないことくらいは分かっているはずだったのに。
「っ! しまっ――」
 引き金を引く貴崎の腕を蹴り飛ばそうと、鏡也が右足を繰り出す。
 発砲音が響くのと、鏡也の足が貴崎の腕を捉えたのはほぼ同時だった。
 貴崎の腕から銃が弾かれるが、間一髪のところで間に合わなかった銃弾が空を切る。
 しかし、それは鏡也に向けて放たれたものではなかった。
 貴崎が憎む機関の幹部。その娘に向けて放たれた憎しみの銃弾だった。
 鏡也の耳に、銃弾が人の肉をねじ切る音が流れ込む。
 その視界が赤く染まり、腹部を染めた女性が床に倒れ込む。
「ちいっ! 裏切者が!」
 貴崎がドアを開けて階段を降りていった。
 すぐに追って止めを刺さなければ、と思う自分と、この場を離れるべきではないと思う自分が交錯する。
 結局鏡也は貴崎を無視して二人に駆け寄った。
 撃たれたのは、日姫ではなく理恵だった。
「おい、理恵! しっかりしろ!」
 理恵の腹はどんどん赤くなっていって、体を支える鏡也の手にも血がこびりついてきた。
 理恵は日姫を庇ったのだ。
 本来日姫が撃たれるはずだった銃の軌道上に、咄嗟に理恵が妨害してきた。
「馬鹿野郎何やってんだ! 何勝手に撃たれてやがる!」
「理恵! どうして私を庇った!」
 焦点が定まらない瞳を揺らして、理恵が口を開く。
「……何で、心配、してるんですか。日姫ちゃんは……私を、恨んでいるでしょう?」
 そこまで言われて話の分からない鏡也ではない。
 鏡也は日姫の方を見る。
「何言ってる! 恨んでなんかない! 私は――」
 日姫の涙が理恵の頬に落ちる。
 理恵はやはり、貴崎と手を組んでいたのだ。
 ゲームセンターで鏡也を騙し、二人きりになったところで日姫を貴崎に明け渡したのだ。
「馬鹿が……」
 理恵の傷口を見る。服の後ろが破れていないところを見ると、おそらく弾は貫通していない。
「この馬鹿野郎が! てめぇのやってることは矛盾だらけだ! ふざけんじゃねぇぞくそったれが!」
「はは……そうですね、ほんと、そうです。鏡也さんや貴崎みたいに、一つの信念を貫き通せる人じゃ、ないみたいです」
 理恵は日姫を売った。つまり鏡也と日姫にとって理恵は敵だったのだ。この女はスパイだった。
 それなら、どうしてここで日姫を庇ったりする。
「ゲームセンターに行く前に……あの日、椎名と出会っていたんですよ。そして……日姫ちゃんを連れ去る計画に、協力した」
 鏡也は理恵の腹を無理矢理押さえる。溢れ出す血が鏡也の手を赤く染めていく。
「最初は貴崎に日姫ちゃんを渡せば……鏡也さんに殺されることがないって思って……でも、本心は、違いました」
 鏡也は冷静に思考を重ねる。大丈夫だ。ここで理恵が死ぬことはない。何故ならこれはあの魔女さえも予期していなかったことなのだから。理恵が死ぬ運命はない。
「私は、多分、鏡也さんと二人きりになりたかっただけなんです」
「何言ってやがる、くだらねぇ嘘吐くんじゃねぇ! だったらどうしてこいつを庇った! お前がそんな独善的な奴ならこんなことするわけねぇだろうが!」
「はは……ほんとですね。ほんと、自分でも意味が分からないです」
 床にどくどくと血が広がっていく。鏡也は経験上腹部を撃たれることの危険性を知っていた。頭や心臓を撃たれるのとは違って、即死することはないが助かる可能性は限りなく低い。
 いつの間にか鏡也の額には、大量の汗が溢れ出していた。
 理恵は虚ろな目を鏡也に向けて、その言葉を言う。
「鏡也さん……私はどうせ、もう死にます。せめて……止めを刺してください」
「……ざけんなっ」
 そのとき鏡也の表情はどんなものになっていたか分からない。
「私を、殺してください」
「……っ!」
 ここで、ここでこうなるのか。
 鏡也はこの運命から逃れることはできないのか。
 この手で自殺志願者の女性を、殺さなければいけないのか。
「お前は死なねぇ! 絶対に助けてやる! そうさ、死ぬはずがない。だってお前が死ぬ運命なんか――」
 待て。
 どうして鏡也は理恵が死ぬはずがないと思っているのだろうか。
 簡単な話だ。あの全てを見透かす魔女が、理恵の死を予言していなかったのだから。彼女が読んでいた運命は日姫の死だけだから。
 本当にそうなのか?
 もう一度魔女の言葉を思い出せ。
 どうして鏡也は日姫が死ぬと思い込んでいたのか。
「お願い、です。ずっと、前から、決めていたんです。私は……死ぬなら、あなたに殺されたいって」
 鏡也の中で散らばっていた複数のピースが、綺麗に填まってしまった。

 ――あの死にたがりの子、もうすぐ死んじゃうよ。

 魔女は全てを知っていたのだ。知っていて鏡也とあんな話を。
「嘘だろ、何で」
「……やっと、気づいてくれましたか」
 きっと鏡也の腕の中にいるのは、この五年間恋い焦がれ続けてきて、そして二度と出会えないと思っていた少女。
「何で……お前が、彩なんだよ」
 理恵が――彩が、クスッと、笑った。
 死にたがりは日姫だけではなかった。
 鏡也の最も身近な人物も、鏡也に殺してくれと願っていたではないか。
「気づくの……遅すぎ。いつまで待たせるの、泣き虫な紫苑」
「……ふざけんなよ」
 理恵はいつも鏡也の過去を探るような真似をしていた。
 あれは純粋に鏡也の殺人事件の真相を知ろうとでもしているのかと思っていたが、そんなくだらない理由ではなかったのだ。
「いつからだ! いつから気づいてた! 大体、お前、死んだって……」
「最初から紫苑だと思ってた。佐倉って名前に、顔も似てるし。あのとき村にいなかったのは分かってたから……だから灰村さんに監視役を志願して、それで」
 彩が吐き出すように咳き込む。鏡也はただ見ていることだけしかできない。
「確証は得られなかったけど……多分、紫苑だろうなって。本当に証拠が得られたのは、椎名のお陰」
「あ、あいつ、あのときの……」
 ゲームセンターの賭け。あれは理恵のためにやっていたことだった。
「茅原彩の死が報道されていたのは、知っていたんだね。あれは、私が機関に頼んで作った、偽の報道。社会的に『茅原彩』を殺してもらうために……。まぁ、今は、本当に死ぬみたいだけど」
「死なせるか! 絶対に死なせるか! やっと再会できたんだ……こんな別れ方があっていいわけねぇだろうが!」
 彩は、どんな気持ちだったんだろう。
 二十二人もの人間を殺した殺人犯、佐倉鏡也。自分が求める紫苑がそんな人物なのかもしれないと思ったとき。実際に接してみて、どうしようもない悪人だと認識させられたとき。
 でも。
 その鏡也の殺人が、実は自分たちの敵討ちだったと知ったとき。
 どんな気持ちで日姫を助けにいく決意をしたのか。
 鏡也には計り知れない。
 そしておそらく、そんなことを考えている時間は、鏡也にはない。
「殺して。紫苑に殺されるなら……それで、満足できるから」
 五年前から告げられていた想い。
 まさに今、それを叶える絶好の機会なのだ。
 ここで鏡也が殺さなくとも確実に彩は死んでしまうのだから。
「嫌だ……殺したくない」
「もう、わがままを言わないの。約束、したでしょ」
 彩の手が鏡也の頬に触れる。
 その手は悲しいほどに冷たくて、力なく震えていた。
 自分が貴崎をすぐに殺していれば、と悔やんでももう遅い。
 ならばこれ以上の後悔を味わわないために、ここで彼女を殺すしかないのか。
「ごめんね、日姫ちゃん。私はあなたを裏切ってしまった」
「気にしてない! お前は私のことを裏切ってなんかない! 私のことなんて庇ってもらう必要もなかった!」
「駄目だよ。自分から死にたいって願うような奴に……ろくな奴なんかいないんだから」
 鏡也と彩は分かっている。
 こんな怪我で助かるわけがないことくらい、痛いほど理解している。
 鏡也が持つ一丁の銃だけが唯一の救いであることも、頭の裏では冷酷に計算し切っているのだ。
 だから鏡也はどんなに辛くてもその引き金を引かなければいけない。
 少しでも、引き延ばされる苦痛を和らげるために。
「そう、殺して」
 銃を取り出した鏡也を見て彩が微笑む。
 人の気持ちも知らないくせに、喜んで鏡也に殺されようとしている。
「いつもいつも、自分勝手だけど……」
「……もう喋んなっ」
 銃口が彩の額に当たる。
 隣で日姫が叫んでいるが、それで止まるほど鏡也の覚悟は半端ではない。
「私、ずっと前から、死にたいって思ってたのに」
 鏡也の指が引き金に触れる。最愛の人を殺すために指が動いていく。
「鏡也さんと日姫ちゃんと三人で、暮らしたいって思っちゃった。三人で一緒にいるのが、楽しかった」
「……」
 もう彩の瞳がどこに向けられているのか分からなかった。
 あるいは五年前の紫苑を見ているのかもしれなかった。
「何でだろう……紫苑、私」
 それが、彼女が発する最後の言葉。
「私、死にたくない……!」
「――っ!」
 発砲音が鏡也の耳に響く。
 支える彼女の体から不思議と重みが消えていく気がした。
 屋敷には一人の子供が泣き叫ぶ姿と、銃を片手に放心する男の姿だけが残った。



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