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彼が彼女を殺すまで
First Story

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エピローグ 少年と少女(1)

 ろくに動かせない体を引き摺って、それでも貴崎はまだ存命していた。
 本来であれば貴崎は佐倉鏡也に殺されていただろう。藤堂理恵を撃ち殺されたあの状況で、貴崎を殺すのを躊躇うはずがない。
 それなのに貴崎は生きていた。
 彼は、佐倉鏡也は本物の英雄だ。
 悪に染まりきった自分に、それでもなお生きるチャンスを与えてくれたのだから。
 痛みと恐怖で頭が鮮明になった今なら分かる。自分がやろうとしていたことは、紛れもなく機関と同じだった。国のために多少の犠牲が必要だという考え方は、どう見ても機関と同じではないか。さっきまでの自分はそんなことも分からなかったのだ。
 腕に足、頭からどくどくと血が溢れてくる。首は締めつけられた跡が残っており、呼吸をするのが辛い。自分はこれほどの痛みを、これほどの恐怖を他人に味わわせようとしていた。それを佐倉鏡也が教えてくれた。その上で、生かすチャンスを与えてくれたのだ。
 もう、足を洗おう。復讐だなんて馬鹿げたことはやめて、彼のように悪を改心させるような英雄になろう。それが罪を背負う自分に相応しい生き方だ。
 がちゃがちゃ、とドアノブを回す。すると先ほどまで開かなかった扉が、何故か今度はあっさりと開いた。
 だがその奥から出てきた男を見て、貴崎は佐倉鏡也と対面していたときの恐怖を思い出した。
「うわーお、すんげぇやられてんのな。また会ったねぇ、貴崎くぅん?」
「し、椎名、詠史……っ!」
 目元にどす黒いメイクを施した男は、がくがくと震える貴崎を見下して楽しそうに唇を歪ませている。
「あんたの復讐って何ぃ? そういうマゾっぽいことをされることだったわけ? いやーでも、流石にそこまでマゾい奴は初めて見たよ。ハハ、膝も腰もがくがくじゃん気持ち良さそうにしやがって」
「な、何をしに、来た。お前はもう用済みだぞ。どこへでも消えろ……!」
「おぉおぉ強気だねぇ。自分の置かれた状況分かってる? ちょーっと俺がお前を蹴っただけであんたは死ねるんだぜ」
 椎名はドアを閉めてそこに背を預けてしまった。貴崎をここに閉じ込めて何を企むつもりなのか。
「ちょっと退屈だったんで向こうからドアを押さえてました。ごめんねぇ、お陰で鏡也ちゃんに痛〜い目に遭わされたみたいで」
「何、お、お前が……何を、考えて」
「知ってるだろぉ? 俺がいつも考えてるのは金のことだけだって。どうだい? あんたに取引を持ちかけにきたんだけど」
「取引だと……?」
 今下手な応対をすれば確かに貴崎は殺される。椎名に抵抗するような力など残ってないし、階段から逃げるような体力もない。
 だがそれでも貴崎はあの男を、佐倉鏡也を裏切るつもりはない。
「お断りだ……! 私はもう復讐など望まない。佐倉鏡也に残された命は国のために使う」
「うっひょー! どうしたんすか主従プレイっすか今度はぁ! なんか随分丸くなってんじゃねぇのおっさん」
 椎名は膝を曲げて貴崎の顎を持ち上げると、その口から甘言を漏らしてきた。
「憎くねぇの? 佐倉鏡也がさぁ」
「憎い、だと……?」
「だってそうだろぉ? なになに、自分を殺さなかったからってあの人を良い人だとでも思ってるんすかぁ? あんたをそんな目に遭わせたのは一体誰だよ。紛れもなく佐倉鏡也だ。殺したいと思わないあの男を」
「……」
 椎名の言葉を冷静に考える。
 確かに、どうして自分がこんなに苦しい目に遭わなければいけない。佐倉鏡也を讃えなければいけない。
 そもそもあの男さえいなければ、こんな恐怖を味わうこともなかった。
「憎いよなぁ? 殺したいよなぁ? さてここで問題です。僕ちゃんはお金が欲しくてあんたはここで助かって佐倉鏡也を殺したいと思っています。二人の望みを叶えるにはどうすればいいでしょう?」
 そうか、と思う。
 椎名の言っていることは正しい。貴崎は佐倉鏡也が憎いのだ。自分をこんな目に遭わせたあの男を殺してやりたいと思っているのだ。
 ならば貴崎が取る手は一つ。
「い、いいだろう……。お前に、依頼してやる。私を助けて、佐倉鏡也を殺せ。金は、存分に払ってやる」
 椎名ならあの男を殺せる。自分には無理でも金さえ払えばこの男ならやってくれる。
 さっきまで冷え切っていた復讐心が、再び沸騰してくる。
 佐倉鏡也を殺す。機関を潰す前にあの男を。正義に楯突く悪人を殺してやる。
 そんな希望に満ち溢れた貴崎の瞳は、椎名が見せた落胆の表情によって大きく揺らめいた。
「あ〜あ。やっぱあんたってそんなレベルの人か。悪はどこまでいっても悪なんだねぇ」
「……何?」
 椎名が懐から銃を取り出して、貴崎の脳がフルに稼働する。そうして、ようやく椎名の狙いを理解してしまった。
「試したのか! 私が佐倉鏡也を殺そうとするかどうかを――」
「そのとおりー。だあって悪いけど僕はまだあの人の依頼を受け持ってんだもん。情報屋はお金を受け取るまでがお仕事なんですぅ。情報屋の矜持として依頼人を裏切るわけにはいかんのよ」
「貴様ぁ! 椎名詠史! 許さんぞ!」
 貴崎は試されていた。本当に改心したのかどうかを。そしてその結果は火を見るより明らかだ。
「おー、怖い目で見つめるねぇ。あんた俺を殺したくて堪らなさそうな目ぇしてんじゃん。こういうときってあれだろ、正当防衛ってやつで合法的にあんたを殺してもいいんだよね? 人間誰だって自分の命が一番大切だもんねぇ」
 貴崎の額に銃口が当たる。その恐ろしく冷えた瞳が貴崎の顔を映し、醜く歪んだ笑みが顔面に広がった。
「ばいばーい、おっさん。最後に一つずっと言いたかったんだけど。あんた加齢臭が酷くて鼻がきついわ」
 そして彼は何の躊躇いもなく引き金を引いた。
 復讐の炎が渦巻いた男は、一人の気紛れによって静かにその生を終えた。



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