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水祭り

Novel

「あー、このレポートが済んだら、今度はこっちの始末書を書いて、それから……」
 ルギンは机上にある膨大な量の書類を片っ端から片付けていく。
 やれどもやれども仕事は終わらない。腕時計の針が何度も回転を続け、口に咥えた煙草から出る煙がもくもくと天井に昇っていくだけだ。
 時間は誰も待たない。時計は所有者のことなどお構いなしに針を動かし、時間が流れているという事実を無情にも告げてくる。
 最近は時間に追われて生きているとも感じるほど、仕事に余裕がなかった。自分じゃなくても時間は誰だって求めるものだろうが、これ程まで切実に望んでいるのは自分だけだろう。
 できれば一日の時間が今の十倍はあればいいのに、とも思う。
「先輩! お祭り行きましょう!」
 そんなことを思っている矢先、一人の女性が部屋に乱入してきた。余りにも場違いな発言を受けて、眉がピクリと動いてしまう。
「おい、ノーマ。てめぇ今なんて言った」
「ですからお祭りです! 外でやってるじゃないですか!」
「てめぇな……」
 後輩のノーマは当たり前だと言った表情。
「生憎俺は窓を覗く暇さえなくてな。世間の流れもこの狭苦しい部屋にいたら分かったもんじゃねぇ。一体なんの祭りだ?」
「えぇ! 知らないんですか! やばいですよ、先輩。こんな煙草臭い部屋にずっと引きこもってるからですよ」
 言い返したいことが山ほどあったが、とりあえずその先を待つ。
「水祭りですよ」
「水祭り?」
「えぇ。人間は水がなければ生きていけませんから。だから水に日頃の感謝の意味をこめて、盛大な水祭りを行ってるんですよ!」
「……で?」
「いやですねぇ先輩。ですから私たちも行きましょうよ。こんな煙ばっかの部屋にいてもつまらないじゃないですか。噴水広場を中心に祭りをやってますから、一緒に行きましょうよ」
「ふぅん。なるほど、そういうことか」
 一拍置いて。
「アホか! ノーマぁ!」
「え、えぇ? なんですか、急に」
「今俺が仕事中なのが見りゃわかんだろーが! つーかお前も仕事中だろ! そんな祭りに参加するほど時間に余裕はねぇんだよ! うわっ、ほらもう針がまた一周したじゃねぇか!」
「何言ってるんですか。みんな仕事は置いて祭り行ってますよ? 律儀に今も仕事してるのなんて先輩くらいですよ」
「な、なんだと?」
 ずっと部屋にこもりきりで何日も仕事をこなしていたルギンにとって、それは信じられない話だった。
 窓を一瞥すると、入口から見知った社員が外に出て行っている。彼らの行き先は全員噴水広場のほうだった。
「あの馬鹿どもがぁ! 仕事捨てて祭りに行くとはいい度胸だ!」
「だっからぁ。先輩もたまには息抜きしたほうがいいですってぇ。仕事も大切ですけどそれ以上に大切なものもあるでしょう?」
「少なくとも水よりは仕事の方が大切だ」
「何を血迷ったこと言ってるんですか。世の中水がなくても生きていける人はいません。でも仕事がなくても生きていける人はいます」
「それはただのスネかじりだろう」
 ふと腕時計に目を落とすと、また針が一周したようだった。大幅な時間ロスに冷や汗を垂らしてしまう。
「ノーマ! いい加減俺は仕事に戻るぞ! 時間は誰も待っちゃくれないんだ! 仕方ねぇからてめぇは勝手に遊びにでも行ってこい。だから俺の邪魔はするな」
 そう言って仕事に戻る。
 ――のはずだったのだが、ノーマに腕を掴まれ、立ち上がらされた。
「お、おい」
「時間ってなんのためにあると思います?」
「あぁ?」
「みんなにある有限な時間は、その間にどれだけ楽しむことができるかが大切なんだと思います。仕事ばっかしてても、それは楽しみを得られません。結果的に時間を無駄にしています」
 時間を無駄にしている、という言葉がグサリと胸に刺さった。
「仕事するときは仕事。遊ぶときは遊ぶ。ちゃんとメリハリつけることが一番時間を有効利用してると思いますよ」
 ノーマが真っ直ぐな瞳でこちらを見据えてくる。
「……ただお前が遊びたいだけの詭弁だろう」
「えへへ、ばれちゃいました? さぁ行きましょう!」
「あ、おい、引っ張るな! 分かった、行ってやる!」
 ノーマの言葉が詭弁なのは重々承知だが、確かに仕事ばっかりしてて、いや、時間に追われる生活ばっかりしてて何か変わるのだろうか。
 たまには息抜きもいいかもしれない。
 ルギンは左腕に付けている時計を外す。それを机の上に置いた。
「あれ? 時計外すんですか? いっつも大切にしてたのに」
「俺が大切にしてたのは時計じゃなく時間だ。こいつを持ってるといつまでも時間に縛られそうなんでな。今日くらいは時間に構わずゆっくりしたいだろう」
「あ、なるほどぉ。そうですね! じゃあこれもいらないです!」
 ノーマはルギンの口元にある煙草を素早く抜き取ると、灰皿に押しつけた。
「お、おい!」
「水祭りに煙草の煙なんてあったら空気が白けます。ここの部屋みたいに煙草臭くするつもりですか?」
「臭くて悪かったな! 俺は愛煙家なんだ!」
「今日だけはいいですよね? 煙草の煙のない新鮮な空気もいいですよ」
「ったく、分かった分かった。確かに煙草があっちゃあ、いつもと同じ気分になるしな」
「よーし、決定! それじゃあ行きましょう水祭り!」
「あぁ。お前もガキだな……」
 ノーマに引っ張られて噴水広場へと行かされる。
 水が綺麗に空を舞い、周囲は大勢の人で囲まれていた。
 神聖な儀式のようにも見える水祭り。水に濡れるのもおかまいなしの人間がそこら中で踊っている。ずっと部屋にこもってたルギンには別次元の光景だった。
 自分の部屋とは違って、空気も新鮮だ。五感で感じる全ての感覚が、時間のことなど頭の中から吹き飛ばしてくれる。
 隣でノーマが目を輝かせて祭りを見ていた。これ程嬉しそうな表情は、仕事場では見たことがない。
 今日一日は、本当に時間なんて考えている余裕はなさそうだ、と思った。

 <了>



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